今日から、所属会派「みんなの未来」の行政視察です。早朝の特急しなので松本駅を発ち、新幹線に乗り換えて延々と南へ。昼過ぎにようやく目的地の山口県下関市に到着しました。
第一日目の視察内容は、「下関市役所新庁舎建設事業の経過について」です。
下関市の新庁舎建設問題は、1市4町の合併協議(平成15~16年)において、合併後10年以内を目途に新庁舎を建設することが、合併協定事項として定められたところに端を発しています。以来、建設候補地の検討を重ねてきたものの結論が出ず、当時の江島市長は住民投票を提案するも否決されて、平成21年3月の市長選直前に不出馬を表明。新人候補3人が争った市長選で、「移転・新築に反対」の中尾市長が当選しました。「市庁舎を建て替えない」としてきた中尾市長でしたが、「現在の市民および将来の市民への負担等、熟慮に熟慮を重ねた結果」「苦渋の選択として」公約を一部変更、新館の増築および立体駐車場の整備が行われ、28年10月には本庁舎本館の耐震補強および改修整備工事に着手しました。
しかし、その後、平成29年3月の市長選で、「本庁舎本館は解体し、コンパクトな新庁舎を建設する」という公約を優先課題として掲げた前田現市長が当選、本館の耐震改修工事の見直しが行われることとなったのでした。
本庁舎本館耐震改修工事の契約は、四千数百万円の損害賠償金を支払って解除されました。これには、菊川断層帯近くに位置する下関市としては、平成28年4月の熊本地震から教訓を得たことに加えて、29年度には国による地域防災の支援という新たな事業債が活用できたこと、また、耐震工事費が25億円を要するのに対して、コンパクトな庁舎の新築工事費が22億円で済むといった諸事情があったようです。ちなみに、この大なたを振るった前田市長は48歳で、お名前は晋太郎さん、安倍晋三総理の秘書だった方だそうです。幕末の風雲児・高杉晋作、安倍晋太郎氏……下関において「晋」の文字は、偉人にあやかろうという命名でしょうか。
平成29年度に実施設計・仮庁舎の一部改修と移転、30年度に既存本庁舎本館の解体・新庁舎建設着手、31年度に新庁舎竣工と移転といったスケジュールで事業が進められています。たび重なる市長選の争点や公約になった下関市役所新庁舎建設問題。三大大型建設計画(市役所新庁舎、市立病院、基幹博物館)が進められている我が松本市も、他人事では済まされないかもしれません。リーダーシップのあり方や、合意形成の難しさに思いを巡らせました。
新しい議場を見学させていただきましたが、とにかく検討時間が少なかったために現場では様々な混乱があったらしく、「ああすれば良かった。こうすれば良かった」という悔いがあるとのことでした。私も家を建てる際につくづく感じましたが、理想どおりの建築を完璧に実現させるのは難しいものです。
この地の名物はフグ、そしてご当地は源平合戦「壇ノ浦の戦い」や、武蔵と小次郎の「巌流島の決闘」で知られる歴史的名勝です。美しい海と関門海峡を車窓から眺めながら、移動の途につきました。