今日は「鏡開き」、近年は「塩の日」という呼び名もクローズアップされている日ですが、私の誕生日です。以前、松本市では、1月11日に「あめ市(塩市)」が行われていました。上杉謙信公が敵方の武田軍に塩を送ったという「義塩」に由来したものと聞いています。
『信州問屋由来記鑑』によると、16世紀、武田信玄が上杉謙信と前後5回にわたって戦いをした際に、駿州の今川氏と相州の北條氏は、甲州の武田勢を塩攻めにしようと謀って「塩の道」を絶ったため、甲州・信州の民百姓や兵は狼狽の極みに達したそうです。この時、越後の上杉謙信公は、「争うべきは弓矢にあり、米・塩にあらず」として、糸魚川の浜塩(北塩)を送ったというエピソードが「義塩」です。「義」を重んじた上杉謙信公には、大いに心魅かれます。
お供え餅を下ろして「慌ただしく過ごしているうちに、お正月も終わりか」としみじみしていると、玄関のブザーが鳴りました。訪問者は、見事な花鉢を抱えた奥野さんでした。奥野さんは、子どもたちから「マリオ」のニックネームで慕われる地域の人気者で、私が公民館長だった頃に知り合い、町内公民館長会の会長として協力体制を組んでもらって以来の付き合い。毎年、私の誕生日には、忘れずに花を届けてくれます。そうそう、奥野さんは、オリジナル清酒「寿一番星」の名付け親としても有名です。市議会定例会で私が登壇する日、奥野さんは決まって私の父の形見のブレザーを着て、傍聴席に座って見守ってくれます。その姿を目で追いながら、実のところ、私はいつも涙をこらえて一般質問をしているのです。
昨年はバラの大きな花束でしたが、今年は「プリンセス・マサコ」と命名された、豪華なシンピジウムをいただきました。
友人の和子さんからは、素敵なバースデーケーキをいただきました。高校の先輩でもある和子さんには、お世話になりっ放しです。